旅を愛する大人のWebマガジン

解散という決断 ソロへの歩み

「当時、デビューは果たしたものの一人前になっていくために時間もかかりました。しかしメンバー全員がプロであるのを受け入れられていた訳ではなかったんです」

総勢7人のメンバー、それを取り巻くスタッフ。考え方や方向性も異なり、徐々に不満が溜まり歪が生じ始めている。ひとつになって突っ走っていたはずが気づいた時には息が合わなくなっていた。

「賞味期限が切れたといっていいかもしれません。デビューや活動について元々マーケティングやプロデュースといった戦略性を持ったバンドではなかったんです。それが10年の間に環境も変わり、家族を持ち暮らし向きも変わってきた。先を考えるならば、もっとビジネスライクにすればよかったのかもしれません。でも僕らはそれがまったくできなかった」

当然、解散に賛成の者、反対の者、二極に分かれた。

「解散するつもりはありませんでした。バンドが消えたら居場所を失う人もいる。その人たちのためにもやめたいメンバーを説得しにいったし、続けるために新しいスタイルも提案しました。しかしうまく伝わらなかった。それでも頑張りましたが無理でした。結局僕がいいだしました。解散しようと……」

若さ故、そしてバンドを引っ張ってきた存在として、なんとしても食い止めようと全身全霊で立ち向かう。できることはなんでもした。しかしその姿すら誤解されることもあった。浜崎さんの心は折れ、解散という結論に至る。

ソロ活動 浜崎貴司のひとり旅

こうして『FLYING KIDS』というバンドのツアーが終わり、途切れることなくソロアーティスト浜崎貴司のひとり旅が始まる。

同年12月『ココロの底』でソロデビュー。ユニットやプロジェクトにも積極的に参加する。2008年には泉谷しげるさん、奥田民生さん、斉藤和義さんといったアーティストを迎え、ギター1本、一対一でライブ対戦する『GACHI(ガチ)10番勝負』を開催。アーティスト同士が真っ向勝負するGACHIでは相手を受け止め、ときにはすべて投げだし、ぶつかり合う。その場で生まれるパッションと音楽を観客と共に共有し合うイベントになった。

2011年には、ギター1本を携え、たったひとりで全国を旅する『弾き語りツアー “LIFE WORKS LIVE 〜Since2011/終わりなきひとり旅”』をスタートさせた。

「ひとりでやると決めたものの最初は逆境だらけでした。今にして思えば大したことはないのですが温室育ちだったもので。事務所を辞めたのも重なり、初めてすべて自分でやるという状況でした。

ツアーは仙台から始まりましたが家を出て東北新幹線に乗り継ぐ山手線内で、すでに吐き気がしました。電車も混んでたし楽器も沢山抱え”大変だな”と思う気持ちに、ひとりで自由に、いろんなところで歌える楽しさ、希望が加わり、興奮し過ぎたようです。初日にがむしゃらに2時間半歌って燃え尽き、打ち上げどころか食事にもいかずにホテルに戻ってさきイカ食べていたのを覚えています(笑)」

それまで仕事をしてきたイベント会社、スタッフ、友人たちに後押しされ始まったひとり旅。近年はベテランアーティストの単独ライブが目立つようになったがその先駆けだった。初めての土地、出逢い、期待と緊張、なにより観衆と直接向き合い、音楽を届けることに手応えを感じさせてくれる一瞬一瞬となっていった。

浜崎さんの魅力はなんといっても「声」。発する言葉のひとつひとつが直に心に触れ、ときに切なく揺らし、ときに深く沁みこむ作用を持つ。アマチュア時代からブレることなく、堂々と立ち向かう卓越した精神力が歌に、曲に載って耳に届くのだ。

そして詩に表される人生論も変わらない。デビュー曲『幸せであるように』の歌詞を改めて手に取ると人生を物語る歌であることに気づく。シーンの描写ではない。生き抜く上で手に入れ、手放していく出来事。人の幸せを祈る素直な想い。若気の至りではなく普遍な愛が宿っている。

続きを読む

1

2

3

コメント

この記事へのトラックバックはありません。

関連記事一覧

PAGE TOP

Copyrighted Image