「生れてきた意味を探す旅」 役者、松井誠さん ~私という名の旅 Vol.2~

私という名の旅

役者、松井誠さん(58歳)。大劇場で数々の座長公演を務めあげ、その美しい女形姿から「生きる博多人形」と称賛を受け「長谷川一夫の再来」と誉れ高い演技者だ。大衆演劇出身は周知のことではあるが、一方で不遇な少年時代を経て数奇な人生を歩んでいることは華々しい経歴に隠れ、そう多くは知られていない。そこで名もなき少年が自ら一座を立ち上げ大舞台で主演を務めるようになった経緯、さらに度重なる困難を乗り切り強く生き抜く松井誠という名の人生について尋ねた。


■1960年、松井千恵子一座の座長の息子に生まれ、捨て子の役で0歳にて初舞台を踏む。中学卒業と同時に家出。新宿でホスト家業に身をやつすが25歳で『劇団誠』を旗揚げ。2000年、中日劇場にて旅役者出身の役者一個人としては初めて大劇場の座長に抜擢。以降明治座、新歌舞伎座、御園座他多くの劇場で座長公演を務める。代表作に『雄・呂・血』『雪之丞変化』『四谷怪談』などがある。
HP:http://www.makotonokokoro.net/
公式ブログ:https://ameblo.jp/makoto-matsui/


どん底から這い上がった旅役者

松井さんが産声をあげたのは芝居小屋の奈落だった。母は旅一座を率いた女座長。出産ギリギリまで舞台に立ち、さらに産婆の手も借りずにひとり松井さんを産み落とした。しかし旅回りの役者の間に生まれた身の上は世の家族の幸せとは縁遠く、また幼子にとっては過酷でしかなかった。

「父も母同様に旅回りの役者でした。互いに妻や夫、子どものいる名さぬ仲、不倫の関係です。そのふたりが愛し合い授かったのが私。母は父を手放したくなかった。私を身籠ると“奥さんのところに戻るならこの子を中絶する”と何度も何度も引き留めたそうです」

父は自分の一座も妻も捨て母を選んだ。しかし松井さんは認知もされないまま双方の異母・異父兄弟10人に囲まれて、歪な家庭環境で育つこととなる。

九州の中部地方のヘルスセンターなどの芝居小屋をめぐる一座は舞台先に寝泊まりし食も賄うその日暮らし。ギャラは安くおひねりが小遣いになった。松井さんは0歳で初舞台を踏んだもののロクな役は回ってこなかった。


◇幼少期 写真提供:株式会社MAKOTO

「あの頃は舞台にあがっていた兄たちが、ただただ羨ましかったものです。たまに役をもらうと嬉しくて舞台でつい満面の笑みを浮かべてしまう。なおさら父からは“おまえには役者は無理だ”といわれ相手にされませんでした」

双方の兄弟たちからは訳もなく殴られ虐められた。学校も午前中の2、3時間で早退し舞台の幕引きや雑用などを手伝う毎日で中学卒業まで40回以上転校を繰り返した。友達ができるはずなかった。

「いつもしゃもじと醤油を持って歩く子どもでした。突然、ひきつけを起こして倒れるからです。しゃもじは舌を噛ませないように口に入れるため。醤油は昔、飲ますと息を吹き返すと信じられていて着つけ薬でした。おねしょもいつまで治らず叱られてばかりで、どんどん心を閉ざすようになっていきました。それでも面倒のかかる子だと両親に怒られると関心を持ってもらえたと嬉しかったものです」

親兄弟に甘えることも抱きしめられることもなかった。中学に進学しても人前では話すこともできないほど内気だったので、ますます役者には不向きだと引導を渡された。


◇少年時代 向かって左が松井さん 写真提供:株式会社MAKOTO

やがて松井さんは中学卒業と同時に一座を抜けだし夜汽車に揺られ東京へと向かった。宛などなかった。心細くずっと泣き続けたという。

松井さんが生まれた奈落には「地獄」、「どん底」という意味がある。心を閉じ誰からも見向きもされなかった少年は奈落の闇の向こうに光があるのを信じていたのかもしれない。こうして自らどん底を脱し自分探しの旅に出た。

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Voyager編集部

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