「生れてきた意味を探す旅」 役者、松井誠さん ~私という名の旅 Vol.2~

私という名の旅

運命の出逢いと別れ、そして再会

役者・松井誠を育てたもの。それは出逢いだった。旅役者から芸能活動へと場を広げ始めたとき、後押しするかのように現れたのは大女優、山田五十鈴さんだった。

「私がサンシャイン劇場の『女形気三郎』に出演した際に訪ねてきてくださって”あなたは長谷川一夫さんの色気と花柳章太郎さんの品の良さを併せ持っている。今の芸を大事にしなさい”、”いつか一緒に舞台をやりましょう”といって頂いたんです。それから共演するまで4年、1998年の帝国劇場『花のうさぎ屋』で親子を演じました」

この舞台で山田さんに芸と人となりを認められ芸能上の養子に迎えられる。山田さんが認めた養子は20人程いて市村正親さん、西郷輝彦さん、十朱幸代さん、萬田久子さんという錚々たる面々。松井さんは末っ子だった。


◇母上こと山田五十鈴さんと 写真提供:株式会社MAKOTO

肉親の愛情を知らずに育った身の上だが役者を選んだことにより一変、大きな後ろ盾と母を得た。松井さんは山田さんを尊敬と親愛を込め「母上」と呼び、その晩年を支えた。

「母上が2002年に倒れて亡くなるまで10年間、舞台の合間を見ては駆けつけ付き添わせていただきました。私の顔を見ると”舞台に立てなくて悔しい悔しい”と嘆き、涙を流すんです。切なかったですね。でも同時に様々なことを教えて頂きました。そして舞台は怖ろしいところだけど真面目に演じ続けると必ず助けてくれる神様がいるんだと。芸という宝物を手にすることができるんだよと繰り返し繰り返し教えてくれました。母上は大女優といえども驕り高ぶることなく普段はやさしく控えめなお母さんでした。それを目の当たりにしているうちに私も自然にそうありたいと思うようになったんです」

結果的に永遠の別れに繋がった10年であったが、山田さんが残した言葉とその人生の軌跡は大きな財産となった。山田さんが東の母上ならば、西のおかあちゃんこと京唄子さんも深い愛情を注いでくれた。松井さんに影響を与えた俳優のひとりに平幹二朗さんがいる。だがもう皆、旅立ってしまった。

その一方で実の家族との縁は薄いままだった。20代で結婚し二子をもうけたが長男長女が年端もいかないうちから別居し離れ離れになっている。

「子どもたちと離れて暮らすことにしたのは、なにより教育のためでした。私はろくに学校にも行けずホストになってもボトルにかかれたお酒の英語さえ読めなかったんです。だからこそ子どもたちには転校の苦労はさせたくない、大学にまで進ませたいという想いがあったんです。当時は『劇団 誠』で全国を転々とする旅役者だった私は家族と別居をし仕送りをしながら暮らすことにしました」

しかしそれがきっかけで夫婦の心もすれ違うようになる。10年間、子どもたちに逢わせて貰えぬ淋しい日々が続いた。ときに入学式や卒業式、運動会などの学校行事をそっと訪ね陰から見守ったこともあった。何組なのか当然知らされていなかったが生徒の群れの中に我が子がいると思えば嬉しかった。

「ふたりに会えないことは、とにかくつらかったですね。10年ぶりに娘や息子と再会した日のことは今もよく覚えています。あれは日曜日、大混雑したスタジオアルタの前でした。ふたりが歩いてくると久しぶりなのにすぐわかったし輝いて見えました。駆け寄って抱きしめたときの感動は忘れません」

2002年には離婚が成立する。息子、松井悠さんはその後、父のような役者になりたいと訪ねてきてくれた。蛙の子は蛙。親子三代舞台に立つことになった。また、かつては松井さんを突き放した両親へわだかまりを持つことなく引き取った。やがてふたりを看取り父母が望んだようにできる限り盛大に最後を見送った。


◇舞踊『獅子』/2005年 写真提供:株式会社MAKOTO

松井さんは2000年の中日劇場『権八小紫』を皮切りに憧れの『明治座』、『御園座』、『新歌舞伎座』他、日本を代表する劇場の主演に抜擢されている。夢を実現しなにもかも順調のように見えた。

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Voyager編集部

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