駆け抜ける世代はもう過ぎ去りました。休むこと、時に立ち止まること、なにより旅をすることは今だからこそ大切なのです。目指すは近くて実は未知なる土地、アジア。Asian Journey、特別だけど手に入りやすい旅、なにより「楽しかった」「行ってよかった」と思える国、土地、ホテル、ご紹介します。第2弾は大人が行くべき香港 「今」だから出逢える 香港の感動と文化 をお送りします。
日本の食材を香港で味わう舞台、食の劇場
九 龍中心部から車で30分ほど、MTRやバスを使うと1時間程度の郊外に白沙湾 があります。浜沿いにうねる道を辿るにつれ迫ってくるのはノスタルジー。”以前、ここに来たことがあった気がする”など と香港の片隅で、ふと物思いに更けるような海辺の街です。白 沙湾は海水浴やマリーナでも知られている漁村です。九龍や香港島にはない景色、潮の香りに迎えられバス停を降りるとすぐにあるのは人々の信仰を集める観音廟。その近くには100年続くという茶餐店・滔滔茶餐庁があります。
そ の海辺の一角、建築中のホテル、ザ・ピア 1階で昨年から営業始めたのが食之劇場 WA THEATER RESTAURANT 。エグゼクティブシェフは日本人、長屋英章さん (41歳)です。ガイドブックにも載っていないこの地で日本の食材を用いてご自身が培った料理の技と知識で美食の街、香港を行き交う食通の目と舌をくぎ付けにしているのです。
「香 港は世界中の良質な食材が集まる土地です。昔と今では画期的に進化していて築地市場に早朝並べられた魚も午後2時には香港空港に到着し調理されディナーで提供されるのが現代の流通です。昔だったら考えられないですよね。だからこそ意義があります。僕は100年前の人々が羨ましいと思うような、今しかできない料理を作ってお出ししたいと思いここにやってきました」
座 敷席も設けられた店構えは一見日本料理店のようですが、ここで提供されるのは東京、南フランスのマルセイユ、京都で修行した長屋シェフが腕を振るう創作フレンチ懐石です。ではなぜ日本の高級食材が、これほど豊富に、さらにここまで運ばれテーブルに並ぶのでしょうか。
「こ の店の母体は食の劇団 という日本企業です。日本各地の食材や食品を海外に届け味わっていただく目的で各生産者さん、支援する関係企業とA-FIVE(農林漁業成長産業化支援機構)が共同で出資して設立されました。単なる流通が目的ではありません。届いた食材を最後にお客様に橋渡しするのがポリシーで、僕に与えられた役目でもあります」
和 食 は世界で愛される食文化です。しかし寿司、天ぷら、刺身、すき焼きなど料理のスタイルが先行するばかりで、海山陸で精魂込めて生み出される食材にまだまだスポットが当たらないのが実情です。また日本においても農業・漁業などの第一次産業は5K問題といわれる、きつい、汚い、かっこわるい、稼げない、結婚できないというデメリットばかりクローズアップされ、このままでは担い手が減少する深刻な状況にあります。
◆折り紙の発想を盛り込んだメニュー表 日本情緒がセンスよく盛り込まれ香港人や各国の旅人に好評
それ故、店 名『食之劇場 WA THEATER RESTAURANT』の「 WA」 には、「自然との調和のWA」「生き物の調和のWA」「世界の平和へのWA」という 3つのWA への祈りが込められています。 こうして香港に運ばれた新鮮食材に 「劇 団」「劇場」にちなみ様々な役を与え、テーブルという舞台で披露するのがこの店のコンセプト。ですから長屋シェフは演出家でもあります。
と はいえシェフに白沙湾出店の計画が持ち掛けられたときに現在の環境やビジョンが見えていた訳ではありません。しかし自分にできる最大の挑戦、料理で尽力 する決意を胸に香港に渡りました。だ からこそ、ここで長屋シェフが食材に振りかけるのは調味料ではなく価値 です。お いしいもの、素晴らしいと感じるものにはお金を惜しまない香港だからこそできた”夢”が幕を開けました。当然、ひと皿ひと皿に溢れるほどのこだわりと日本人シェフであるからこその美学が散りばめられています。
そ してゲストの話す言語は違っても、なにより伝えたい生産者の姿、食材のルーツをオリジナル映像を使って流し5感に訴えかける試みも忘れません。
VIDEO
キ ャストが揃い、さあ、ここからが舞台の本番です。
「食事」は人の記憶に残る「機会」であるべき
ま ず運ばれてくるのは誰もが驚きの声が上げる前菜(プロローグ)、おとぎ話~春の朝霞の風景 。紅白の水引きを掛けられた白木の箱から涼しい煙が吹き出します。そして蓋を開けると二度めのサプライズが用意されています。
「こ れは言わば僕の履歴書代わりです。中には僕の生まれ故郷、北海道函館のウニを塩漬けにしライスクラッカーに載せた一品、修行した南仏、マルセイユ周辺の名物料理、ブイヤベース風茶碗蒸し。そして京都で日本料理を学んだ時代を物語るブリオッシュを纏わせた琵琶湖の稚鮎を盛り合わせました」
ま るでスペシャリテのような贅沢さ。ウニも銀座の鮨屋で食べるのと違わぬ鮮度、品質です。
日 本や各国の食材を使いつつもゲストのほとんどはホンコニーズ。香港の食文化と融合させるのも大切です。
「香 港の方は始めに味の濃いもの、インパクトのあるプレゼンテーションを求める傾向にあります。それは日本の懐石のように少しずつ味を深めていきメインに辿り着くのではなく、一品二品食べて料理人や店の腕試しをするのが香港流。最初が肝心なんです。大したことはないなと思われたらコースの途中だろうと席を立つ厳しさを持ち合わせています。だからこそ仕掛けたのがこのおとぎ話なんです」
一 生のうち食事のできる回数は人それぞれ。明日の朝食はあっても昼はないかもしれない……。誰もが人生で与えられた食事の回数を知りません。だから料理は人の記憶に残る機会であるべきだと長屋シェフは話します。ま た白沙湾にやってきた当時の「まるで浦島太郎になった気分」の不安と戸惑い、そして希望で胸が膨らんだ初心もこの玉手箱に詰めました。シ ェフの体現が食によって観客であるゲストに提供され体感に変わる瞬間がこの一品目なのです。
こ れを皮切りにランチは全7品。シェフは演出家であると同時に料理を使った語り部の役割を果たし、各テーブルではプロローグからエピローグまで上演されます。
【ランチコース 全9枚】